答えさがしの弊害
答えさがしは行動することを阻害し経験を奪い可能性を閉ざす。
インターネットで検索すると、色々な【答え】のようなものが見つかるね。
書店にいけばビジネス関連の棚に【こうすれば良い】的なものが沢山ある。
たしかに、あぁなるほどね。そうかもしれないなと思うことが山ほど書かれている。
でも、僕はそれ知りません。
世の中には傾向性やパターン的な物の見方があるし、実際その通りなのかもしれない。
でも、例えば【人生こうやれば上手くいきます】という本があったとする、その本の作者を構成してるものと、僕自身を構成してるものは違う。その作者はそれで良かったのかもしれないけれど僕は違う。生まれも、親も、学歴も、仕事も、まわりにいる人たちも、すべてが違う。
そのような人たちが書いた【答え】のようなもので、僕が僕の関係性の中で行動し経験することの可能性を捨てる必要は全然ないんだよね。だって僕の人生じゃない。
ある日、シリア難民に寄付をしたくなって国連WFPへ寄付したとする。
自分なりに出せる範囲で寄付してどうか少しでもーって思ったとする。なるほど僕の出せる範囲で寄付をするとこういう感じなのか。こういう風に感じることができるのか、おお、国連WFPからニュースペーパー届くな。だけど俺も貧乏なんだよな。もう少しで忘年会だしな。でもめっちゃ困ってそうだから少しだしておくか。どうか少しの食事にでもなりますようにって。
これ答え探ししてたらないよ。じゃー、国連WFPに寄付する前に答え探ししてたら僕だったらこんな言葉をエビデンスとして持ってくるかもしれない。
自分の国で苦しんでいる人がいるのに他の国の人間を助けようとする人は、
他人によく思われたいだけの偽善者である」
「大切なことは、遠くにある人や、大きなことではなく、目の前にある人に
対して、愛を持って接することだ」。
「日本人は他国のことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して
考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります」
1981年4月マザーテレサが来日時 に黒柳徹子に言い放った言葉
おお、マザー・テレサがこんなこと言ってますね!!じゃー僕がやろうとしてたことは間違いなんだな。じゃーやめておこう。だってあの超有名な愛の化身のマザー・テレサ様が仰っているんだから間違いないです!って。たしかにマザー・テレサ間違っていないんだと思う。マザー・テレサの方が僕よりもはるかに思考しているし、行動のレベルも桁違いだと思う。同じ人生を歩んで同じ経験をしていたら、同じ【じぶんなりのこたえ】になるのだと思う。でも僕はマザー・テレサじゃないし知らない。
もちろん自分自身の行動に100%の確信もないし、たぶんマザー・テレサが言ってることのほうが正しいことに近いんだろうな、という気もする。でもそれはそれで心にとどめておけばいい。いつかわかるかもしれないし、わからないかもしれない。
でもね、他人の言葉で自分が行動することをやめてしまうと、なーんにも出来なくなっちゃうんだよ。どんなことにでも間違っているというエビデンスは持ってこれる。他人の言葉で未知な経験を捨てることは人生大損してると思う。だから自分でピンときたことはやってみるといいと思うんだ。痛い目をみることの方が多いけれど、それはそれでご愛嬌。
子供のころは色んなことを試したでしょ。そんなことしても何にもならないよって言われながらも。僕なんかは醤油とマヨネーズを混ぜて冷凍庫に入れておいたら何か生まれるんじゃないかってずーっと観察してたことがある。どうにもならなかったけどね!!でも楽しさは知れたな。