ゆるくおもう

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人と一緒に何かをするって実は楽しいんだよ

Basket weavers in Ongula

 

 

色んな人と一緒に何かをするってのは凄く嬉しいこと。

仕事でもそう。遊びでもそう。自分一人では出来ないことを一緒にやる。「やってあげる」でもなければ「やらせる」でもない。お互いにやる。それって本当はとってもとっても相当に楽しいことなんだ。

 

そんなこと言ったって、要領が悪かったり不器用な奴がいると効率悪くなるだけじゃない?てか、あんな奴いなければもっと上手くスムーズに事が進むのに。あんな奴邪魔じゃないか。正直、僕もそう思う時もある。

 

とっても恥ずかしいことなんだけど、みんなオレだったらいいのにって思ったりしたこともある。でも、それって「自分がやる」「自分だったらどうするか」「オレはこうしてみよう」「オレはこう思う」そういうのがないってこと。主体性がないってことだよね。

 

主体性がないっていうのはどういうことかっていうと、「消費者意識」とか「お客様的」とか「やってもらう前提」とか「そうなっているから」そんな感じ。

 

簡単に言うと

 

オレはやらないけど、なんでやってくれないんだよ!!

 

こういうこと。

 

それじゃー何も面白くないし、腹が立つばかり。自分が見えてないからね。

内心、本当は自分のことに薄々気づいてはいるんだけど、目を伏せてる感じかも。

 

例えば、外食じゃなくて料理を自分で作ってみることにした。

オレはこれが食べたいから、これとこれが必要で、こんな作り方をしなければならないなーとか色々考える。そして作ってみる。作ってみると上手く作れない。洗い物もしなければならない。

 

上手くできない自分だったり、とりこぼす自分だったりが見えてくる。

作ってもらった料理しか食べてないと、上手に料理できない自分てのにも出会えない。

 

それは自分にも出会えないし、他人にも出会えないってことなんだよ。

 

自分に会って、他人に会っていく。自分だけでは出来ないことを助けられながらやっていく。それは凄く嬉しいことなんだ。

 

なんでこんなこと言い出すかというと、ここ最近たまっていた仕事を後輩がごそっと進めていてくれたから。朝はどうせ進んでないんだろうなと憂鬱で憂鬱で仕方なかったし、期待せずにウジウジしながら会社にいったら、これとこれをやっておきましたって言うから、飛び上るほど嬉しかったのと同時に、オレがアホだったなーと。

 

案の定、蓋を開けてみるとグダグダな部分もあったのだけれど、それでも嬉しかった。出来る出来ないじゃないんだよ。

 

本当は誰かと一緒に働くってのは楽しいことなんだよね。