お寺とかお話し聞きに行くのって難しいよね?
デジタルお取次ぎ「聞見会」仏教どうでしょう?
お寺にいらっしゃる方や、生まれながらに仏教に近いところにいらっしゃる方には、わかりづらいかもしれませんが、仏法を聞く機会というのは、日常生活の中でそう簡単に出遭えるわけではありません。仏法というのは、遠い世界の別次元のなんだかよくわからない世界、という以前に関心さえも抱かせないほどの世界になっているのが、現代の日本社会の実情ではないかと思います。
そして、奇跡的に、(本当に奇跡的に!)仏法に出遭い、お念仏に出遭い、お念仏っを呟こうとしても、日常生活の中で、お念仏が簡単にできる社会でもなくなっています。易行(やさしい行)といわれるお念仏ですが、通勤中にお念仏をすると、変な目で見られます。家に帰って自分の部屋でお念仏をしても、家族から「変な宗教にはまった!」と心配されます。慈海の場合は、会社のトイレの中で、ひっそりと自分の漏れる息にあわせて、だれにも聞こえないように、お念仏をしたものです。会社の同僚に聞かれたら、それこそ変人扱いで、白い目でみられたかもしれません。被害妄想かもしれませんが、それだけ仏法というものが、現代社会の中では異質な存在になり、聞きづらくなっているということです。
だから、慈海は、この紙面で呼びかけたいのです。「安心してお念仏できる場所、仏法を聞ける場所がここにありますよ。」ということを。
都内でバリバリ働いていたけど
ぜーんぶやめてコンビニ坊主になられた釈慈海さんのお言葉。
何年か前からtwitterの呟きや、たまにustなどを拝見させてもらってて、この念仏ジャイアンがカーッペ!って思う時もあるのだけれど、これには激しく同意なんだよね。
慈海さんも仏教と全然関係のない所でと仰ってるけど、家族やら親戚やらはお念仏を熱心にされていたと思うし、ボクは生まれが日蓮と同じなので、それなりに仏教には近かったはずなんだけれども、それでもどーーーにも入りにくい。
っていうことは、もうそれこそ本気で仏教に縁のない人っていうのは物凄く入りにくいはずなんだよね。
ボクはネット上で、お話聞きに行ってみたいなー。お寺いってみたいなーとブツブツつぶやいて実際に行くまでに2~3年かかったからね。
生まれながらお寺とか仏教に近い人に言わせると、入り難くて当たり前。とか色々と仰られるんだけど、入りにくい理由がそこではないんだ。「白い目で見られる」これなんだよね。どうかしちゃったんじゃないか?とか、やっぱり変な奴って思われる。被害妄想というか妄念なんだろうけど、実際に生活に支障がでるんだよね。
なので、こういうネット上での仏法を聞いていこうぜっていう場は応援したい。
だれでもどんな人でも人目も気にせずに話せるって素敵でしょ。
仏教どうでしょう?