ゆるくおもう

仕事×自分 読書×自分 日常×自分

とにかく「自分」ということ。それ以外ありえないということ。

film night | self portrait

 

 

「自分」いがいはありえない。

真宗大谷派の横浜親鸞講座に行かせて頂きました。

正信偈という浄土真宗の人達が日常的に御勤めしている言葉から学んでいきましょうということ。テーマは「新しい生き方のはじまり」。講師は横須賀市 長願寺住職 海法龍先生。

 

色々な言葉を使って表現されていたけど、とにかく「自分を知る」ということ。

 

自分のことは自分が一番知ってるよ。とか、自分のダメなところは理解してる。そう思ってる人も多いと思う。ボクもそうだし。というか、自己責任?そんなものどこぞの啓発本やセミナーとかでも散々言われてるし、反吐が出るぜとか思ったりもするでしょ。でも、そうではなくてということ。

 

例えば、成果主義や結果だけを求める社会が嫌だなと思う。社会のシステムが悪いんだ。って思うじゃない。ボクも思いがち。

 

だけど、その成果主義の上に乗っかって生きているのはこのボクなんだよね。

 

 

「自分を知る」というのは、色々な人、色々な言葉に出会っていくということだと思う。色々な人や言葉がこの「自分」というものを教えてくれる。そういうことなんだと思う。この、色々な人や言葉に出会っていくことってどういうことなのか?と考えると、その人や言葉の背景を知っていくこと。そこには自分の知らないことが沢山ある。その背景を知って、色々な人の思いや、重さを感じさせれる。そこには「有り難う。ごめんなさい。」しかないんだよね。そこで自分というものが知らされていく。これはどうやら頭が上がらんぞということだよね。それが「己見の見」なのかなと思う。

 

 ではどうすれば良いのか?ってことになるよね

 

目の前にあることを真面目にやることしかないんだよね。

道にタバコの吸い殻が落ちていたら拾う。これ、話半分で聞いていると、たとえ話的なものだろなーと思うんだけど、違うんだよ。ガチなの。ガチでそういうことなの。

 

ボクは「半径1メートルの世直し」っていうどこかで見た言葉が好きなんだけれど、それはどういうことなのかな?って考えると「真面目」ってことなんじゃないかなと思う。真面目ってどういうことかっていうと、頂いているという感覚なのかな。よーわからんけど教えてくれている。教えられているみたいな。

 

挨拶をして、掃除をして、勉強して、ゴミを拾っていく。

 

当たり前のことを当たり前に出来ていない自分を知らされる。

 

それ以外にないよね。

 

真宗会館 講座案内

http://shinshu-kaikan.jp/guidance