ゆるくおもう

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くらべないのではなくて、くれべられないんだよね

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比べない。そうではなくて、比べられない。本当はね。

 

自分と他人を比べてはいけないって話、誰でも耳にしたことがあると思う。

 

自分と他人を比較する。時にはライバル関係になって競いあったりもする。

それはそれで通る道なのかもしれない。でもそれって本当のところではないんだ。

 

僕も人と競い合ったりすると楽な質。

 

少し前まで同期の同僚が何人も居た。誰かがああ言えば、自分はこう言う。

僕がこうやれば、誰かがああやる。今思えば、たいして興味のないことでも張り合う仲間が居たからこそ、考えさせられたのだと思う。それはそれで良いこと。

 

でもそれって他律的なんだよね。

 

それに気がついて自分にガッカリしている今日この頃。

 

そんな愚痴は置いておくことにする。

 

くらべないのではなくて、くらべられない。どういうことだろう?

 

お金の量を比べたり。点数を比べたり。友達の数を比べたり。家を服を・・・。きりが無いね。くらべることってきりがない。

 

でもさ、今目の前にあること。その一瞬一瞬が完全にオリジナル。一回きりの出来事だったら?くらべようがないと思わない?無常なんていうと、なんだかシンミリというか、ネガティブな感じ。でも、新たなものが生まれているということでもあるし、その一回一回が二度とない本物。オリジナル。これ以上ない。

 

この一瞬が勝ちも負けもない。優劣もない。善悪もない。今目の前。今この自分が見ていること感じていることそのものが、絶対的に平等。

 

つまり、くらべようがないんだよ。

 

そうは言っても、日常的にそういう感覚で生きるって無理。悟れちゃう。

 

じゃーどうやって生きていくのかと考える。

もう一つの視点として自分の中に持っておくべきなんじゃないかと思う。

どーしたって、現代社会で生活をしていれば競争させられる。そこから完全に降りてしまうことは出来ない。例え出来たとしても、なんかそれちゃっと違うんじゃねーの感もあるし。

 

だったら、自分には完全には出来ないし、思えないのだけれど、本当は違う。自分の目にはそのようにしか見えないのだけれども、本当の所は違うのである。そういう目線。本当の所へ繋がっている通路。そういう「もう一つの視点」というかたちで、自分や世間というものを見ることが出来るようになることが大事なのではないかと思うんだ。

 

くらべてしまう自分がいる。だけど本当は、くらべようがないんだよ。