ゆるくおもう

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人のことを考える 他人に依存するのではなくて自律的に

人のことを当てにしている生き方では何も出来ないよ。

誰々がこう言っていたから。誰々がこうしていたから。誰々がやってくれるから。そういう考え方や生き方は間違ってる。それは自律でも自立でもなんでもない。人に動かされるだけの存在だよね。簡単に言うと、流行ってるから買いました的なね。

 

他人のことを当てにしているっていうことは、他人に甘えてるってことなんだよね。厳しいように聞こえるかもしれないけど、当たり前のことなんだよ。例えば、自立自律的に考えたり、動けなかったりすると、人の為に何かをするなんてことは当然出来ない。

 

人のことをあてにせず、人のことを考える。これが自律であり自立なんじゃないの。

 

 

自律的に生きるっていっても、結局は流されて生きていく他ないじゃない?

それに、そもそも自分一人で生きていけるわけないじゃない?

 

もちろんその通り。結局大きな流れには逆らうことなんて出来ないし、無自覚に流されていたり、選択させられていたりする。でもそれをそのまま良しとする必要もないよね。みんな悪いことしてるんだから、自分も悪いことして何が悪いのか?と同じ。それこそ他律的じゃん。

 

それと、自分一人で生きているわけじゃないじゃんって当たり前。当たり前なんだけど、そこを履き違えちゃダメだと思う。人のことを自分の都合の良いように当てにして生きてると、そもそも自分一人で生きてるわけじゃないんだなって思えないし、言えない。自律的に生きていてはじめて、言えることなんだと思う。

 

なんでこんなことを言い出すのかというと、最近、職場の師匠的な存在が、そろそろ潮時だなということを言い出した。弟子達はオロオロしだして、自分も辞めるとか、寂しくて構ってもらうのが目的になっちゃう人や、やっぱりダメだったのかと諦めてしまう人。

 

もちろん、ボクも寂しく思うし不安を感じる。

 

でも、そうじゃないでしょ?そんなことを教えてもらってきたわけではないだろう。師匠がよく言っていた。

 

「人のことを考えられるようになれ。」

 

それは自律しなければ出来ないことなんだよ。

 

それには信念がいる。

 

それは一朝一夕で出来上がるようなインスタントな物でもない。

 

それは自分だけで作りあげることが出来るようなものでもない。

 

人としてどうあるべきなのか?自分が言ったことや、行ったことが間違っていたのではないか?そう思いながら教えてもらいながら出来上がっていくもの。それが自分を律するための物差しになっていくんじゃないか。

 

だったら師匠のこと考えて、しっかりやれますよって姿を見せてやるべきなんじゃないのか。それが自立するってことだよ。

 

お前がウニョウニョしてる間に、師匠いなくなっちまうぞ。